孝女白菊研究のための関連資料集/平成18年12月15日現在
    

井上哲次郎博士
井上哲次郎博士

1882年(明治15年)、一冊の詩集『新体詩抄』(丸家善七刊)が出版された。同書の「例言」には、「夫レ明治ノ歌ハ明治ノ歌ナルベシ、古歌ナルベカラズ」と宣言されていた。この宣言文を書いたのは、太宰府の医家に生まれた井上哲次郎(いのうえ・てつじろう、1855−1944)であった。号は巽軒(そんけん)。彼は郷里を出たあと長崎に遊学し、さらに上京して学問を修めて、ヨーロッパにも留学した。帰国後、ドイツ哲学者として母校の東京大学の教壇に立ち、晩年は東洋思想にも造詣を深めた。詩集に『巽軒詩鈔(そんけんししょう)』(1884年)があり、篇中の西南戦争を題材にした長篇漢詩「孝女白菊(こうじょしらぎく)」は、のちに落合直文が平易な新体詩「孝女白菊の歌」に翻案して一躍有名になった。※写真は編集工学研究所の松岡正剛さんの千夜千冊の紹介HPより

仙台文学館/没後100年記念「落合直文の生涯と事績展」
落合直文100年

2004年2月7日(土)〜4月4日(日) 落合直文(1861年〜1903年)は,気仙沼の伊達家重臣の家に生まれ,日本の新しい詩歌の誕生に大きな役割を果たしました。 上京し,国文学や漢学を学んだ直文は,辞書や教科書の編纂を数多く手がける一方,「孝女白菊の歌」や「楠公の歌」など,多くの人々に愛唱される作品を発表しています。 また,1893年には短歌結社の先駈けとなる「あさ香社」を創設し,与謝野鉄幹をはじめとして,のちに近代短歌の基礎を築くことになる歌人たちを育てました。 今回の展示では42年の生涯をとおして直文が成しえた仕事を広く紹介

企画展のポスター

  孝女白菊の映画

■「西南戦争悲史 孝女白菊」(44分・35mm・白黒・無声)
家庭小説や唱歌として親しまれた孝女白菊の物語を映画にしたもので、当時、何社か同内容の映画を作っているようですが、これはそのうちの一つのようです。『西郷軍に志願する父と、父に反発して家出する兄との葛藤が描かれるとともに、薄幸の本田白菊の出生の秘密が明かされる』といった内容のようです。映画制作は「東亜甲陽撮影所」で、兵庫県西宮市にあった現代劇スタジオだそうで、1923年から1927年まで稼動していたようです。
■所蔵:「広島市映像文化ライブラリー」が譲り受けて、
■1925年製作。東亜甲陽製作。
●監督:賀古残夢、原作・脚本:檜山美登、撮影:河崎喜久三
●出演:上村節子、石川秀道、荒木忍、中川芳江、月岡正美  

紙芝居
紙芝居

【九州東海大学熊本付属図書館】
67枚の原画とともに、プロの紙芝居師の実演ビデオを保存している。タイトルは「孝女白菊」。
「孝女白菊」物語は、井上哲次郎(号 巽 軒・哲学者)の漢詩が原典で、明治二十一年、落合直文(国文学者)が、これを新体詩に和訳、東洋学会雑誌に連載し、一躍有名になった。

■紙芝居のあらすじ/物語は、西南の役当時の熊本の混乱と疎開先の阿蘇(熊本県)を舞台にした家庭哀話である。熊本城下の士族、本田昭利は、捨て子を拾い、「白菊」と名付けた。昭利には昭英という男児がいたが、父子の仲が悪く、早くから家を出ていた。白菊は育ての親を実の親と慕い、美しい孝行娘に育った。戦禍がひどくなり、一家は阿蘇へ避難する・・・。白菊は母を亡くし、父を助け、苦難の末に、若い僧となった兄、昭英と再会、親子円満な家庭を築いたという筋書。
●なぜ、大学図書館に紙芝居があるの?
昭和三十三年、東海大学の創始者で前総長の松前重義博士は全国的に有名なこの物語を地元の人々があまりに知らないことを嘆き、阿蘇郡長陽村の数鹿流ケ滝を望む景勝の地に「孝女白菊」の歌碑を建立した。麗筆は信子夫人による。 この物語は創作だという説やモデルがいるという説など諸説がある。
この紙芝居は、地元紙、熊本日々新聞社を通じて昭和60年に熊本県八代郡鏡町の紙芝居師、光永藤雄氏(故人)から寄贈を受けたものである。※画像は、九州東海大学付属図書館所蔵の紙芝居の表紙


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