孝女白菊(こうじょしらぎく)って、
  聞いたことがありますか?
 いまや死語化した感のある「孝行(こうこう)」。広辞苑によれば「親をうやまい、よくつくすこと」
とありますが、そんな孝行を尽くした娘のことを「孝女」といいます。
 だから、孝女白菊とは、孝行な娘・白菊(娘の名前)の物語詩のことで、三章五五二節からなる七五調の
長編詩物語で綴られた新体詩です。
 
 物語詩の概要は、明治10年(1877)西南戦争の時、熊本士族で薩摩軍に加わったため、いまは
阿蘇に身を隠す父が、ある日猟に出たまま行方不明となった。白菊とは、その父を捜して阿蘇の山深く
さまよった孝行な少女のことです。その足跡は南阿蘇の長陽地区、白水地区、久木野地区など各地に及
んだと伝えられています。
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 この物語は事実談によるものともいわれ、井上哲次郎博士(東大教授)が作った漢詩「孝女白菊詩」
(七言にて404句からなる)を、落合氏が新体詩に書き直したもの。
 この新体詩の物語は、明治21年5月「東洋學芸雑誌」に載せられました。作詩者は落合直文で、
明治17年春から明治20年春まで歩兵第一連隊に人営していましたが、その間にこの詩を兵営内で作
り、除隊後に更に書き進め推敲したものといわれています。
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  そして、歌詩がロマンチックでしかも長篇だから、家庭小説の読み物として構成、出版され
一世を風靡したそうです。ドイツ語、英語にも翻訳され、そのドイツ語版はハンガリー語やポーランド語にも翻訳され
欧州でも文学者間では読み継がれたといわれています。 
また、その歌は歌謡として、無声映画として、漫画や紙芝居、絵本になって
明治・大正、昭和の戦前を一世風靡したといわれています。
                    
ゆかりの地マップ

          南阿蘇村には4カ所の関連施設があります。どうぞ、物語詩の情景を訪ねてみてください。
                    <それぞれのアクセス>>
孝女白菊の歌碑/国道57号沿いのトルパ(写真の撮れる景観のいいロケーション&駐車場)の標識と赤牛の像が目印。数 ケ鹿滝を目の前に臨む位置にあります。熊本方面から阿蘇大橋を渡らずに、真直ぐ10mほど進んで右側のトルパに駐車。
西南の役公園/孝女白菊の物語の時代背景はまさに西南の役ぼっ発の時。白菊の父も出陣し、戦火の為に阿蘇に疎開することになりますが、その後、母の病死、一家離散の目に合います。公園には記念碑などが建てられています。国道325号沿いの九州東海大学の正門横の道路からのアクセスと栃木交差点から阿蘇山西登山道からのアクセスラインがあります。
孝女白菊の墓/モデルといわれる妙喜尼のお墓があります。記念碑としてのお墓ではなく、ご子孫の山室家・河内家および他家の共同墓地になっており、お参りはお気をつけください。国道325号から北方面、ペンション村の入り口に位置します。
清水寺(きよみずでら)/物語の中で、白菊の兄が修行をしていたお寺とも父が狩猟中に崖から落ちてケガをし担ぎ込まれたお寺ともされる清水寺は久木野地区、山都町清和地区へ通じる山道の途中に位置します。


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