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■孝女白菊って、聞いたことがありますか?
■孝女白菊の物語詩/落合直文の新体詩
■孝女白菊の絵本
■資料の収集(1)
■資料の収集(2)
■リンク/孝女白菊のドイツ語データベース
■孝女白菊の里づくりの会/活動状況
■第一回
孝女白菊の朗読バスツアー
●リンク
南阿蘇村
南阿蘇村観光協会
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南阿蘇村で「孝女白菊の里づくりの会」を発足しました。
孝女白菊の歌は、主人公「白菊」が、親に対する自然な情愛に終始し行動したことを物語詩にしており、
七五調の長篇新体詩で格調高く、優雅に流れるような律動感にあふれており、
日本では最長の詩ではないかと言われています。
明治28年にはドイツ語訳で、続いて明治33年には英語訳で出版され、国内にとどまらず国外まで
高く評価されてきました。
さらに昭和43年には、人間の自然な親愛の情を育むということと、
阿蘇を舞台にしていることで、熊本県の教育読本にも採用されています。
「孝女白菊の里づくりの会」では、この物語詩をとおして今一度、情愛の心を確かめてみたいと思い
色々な企画を計画していますが、資料が少なく困難な状況となっています。
本会の主旨をご理解いただき、趣味などで資料をお持ちの方のご協力を是非お願い致します。
■南阿蘇/孝女白菊の里〜南阿蘇に点在するゆかりの地〜■
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<「孝女白菊の歌」の歌碑>
昭和33年、数鹿流ケ滝(すがるがたき)を俯瞰する景勝の地に、東海大学の創始者で前総長の松前重義博士が白菊の歌の一節を刻んだ歌碑を建てました。その文字は同博士の信子夫人の筆になるもの。
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<西南の役公園>
孝女白菊の物語詩は西南の役時代を背景に、白菊の養父も出兵。また、その戦争によって白菊の家族は南阿蘇村に疎開し生活は一変。戦乱による一家離散の目にあいます。西南の役公園」は、官軍と薩軍の慰霊碑
などの公園になっています。
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<孝女白菊の墓>
地元では、孝女白菊のモデルといわれている「妙喜尼」の墓が立っています。剃髪して「妙喜」と名乗った山室妙才は、11歳のとき母と死別、二人の弟があり、父も病身だった為に、父の孝養、弟たちの養育、戸長の仕事も代行し、晩年は河内寺という庵を営み集落民の葬送に余生を送ったそうです。孝養と養育を尽くし一生未婚でとおしました。また、細川候から褒賞として、米5俵を33年間賜ったとのことです。「妙喜」のことは「肥後孝子伝」(天明二年=1782、中村正尊編)に出ています。
享年92歳
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<清水寺>
南外輪山の八合目あたりに位置し、禅宗の古寺である。白菊の養父が出猟中に負傷し担ぎこまれた寺のモデルとも言われている。物語中、白菊は本田姓だが、住職の姓も本田であることから物語詩の舞台になっているともいわれている。
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