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日々の出来事 目次へ

  日 々 の 出 来 事     


平成20年(2008)2月度の記録


20年2月24(日)〜29日(金) 


12日振りにXと共に我が家に居る。本日29日午前で取り敢えず退院した。骨折部の表面傷は完全に癒えて一昨日より消毒も当てガーゼも無い状況で・・・よってリハビリだけなのである(約4〜50分)。本人の体調を考慮しても入院している事は無いナー・・・Drもそれで良いよ・・と即決定。

しかし帰って来たは良かったが家が寒い・・冷え切っている、AC,ストーブをガンガンとフルに稼働させても少し暖かくなったかナアと感じるまで約2時間以上掛った。大津は現時点、春本番といった感じで、そこ行くと阿蘇はまだまだ・・今日は風が強かった性もあるかナァー、(本日はここまで・・明日以降記載の事としたい)



20年2月18(月)〜23日(土) 


暫く振りに我が家に居る(23日)、セカンドが付添応援に来てくれた、孫娘の風寝込みを押して・・・であった。入院当日(18日)はそんなに悲壮感は無かった?・・・積りだったが、入院手続き中に又してもブルッと来る、約4年前の出来事を思い出した。しかしXが気丈にも堪えて居た様子だった丈に我不甲斐無さ?に鞭であった。スタッフの皆さん皆親切である、執刀医のY川Drそして師長のI入さん、それに専属担当のI田看護師、手術当日ご担当のS田看護師、手術室スタッフのH嶋さん、他の皆さんもそうである。

術当日は案の定、不甲斐無くも落着かなかった、その時間(13時30分)が来るのが非常に遅く感じた。そして愈々その時間が来る、Xはそれを待つ間、そして室へ入りスタッフに迎えられた姿・・・、己はこのような場面に遭遇したことは全く無く、この様に耐える事が出来ただろうかと即疑問(懐疑)?。そして待つ事約2時間・・・終わった、終わった、やっと出て来た・・・のであった。

手術説明によれば「右上腕骨頚部骨折」で骨折部を整復し髄内釘を挿入しスクリューにて手技により固定したとの事。術前時、危険因子としてはある程度の出血、感染症、既存の疾患への影響等であったが現状では良好に推移しているようだ。予後の説明としては骨癒合の状態を見ながらの序々の可動域訓練を行うとの事だが、関節可動域制限・骨癒合不良・痺れの出現・残存の可能性や変形性関節症による関節痛残存に可能性がある・・・とある種、私へもクギ?をさされている。その外全身麻酔の所作についてもその合併症や起こりうる危険性・・・等々、たくさんの言葉で身が縮む思いであった。

又、術終了後、監視室に入ってから・・の時間はある意味大変だった、覚醒と共に痛み、発熱、うわ言・・等、それでもスタッフの看護の御蔭で・・・今日を迎えて居る。ご担当のY医師とS田看護士、そして術翌日は何事も無かったかのような余裕すら伺える朝食であった。

術翌日のまだまだ触れるだけでも痛いと思われる時点でリハビリが始まった。詳しい内容、状況は後日記載するが、スタッフを紹介する。作業療法士のI田さん、理学療法士のS田さんである。皆さん若い、はつらつとしておられる。今後大いに期待したいところである。

皆さんに支えられて・・の今日を迎えられた、有難うございます、宜しくお願いしまァーす。

帰宅早々に師匠の援護を受ける、ブイヨンベースのポトフを戴いた、Xにも食べさせたい位の出来である。久々の美味・・・、
そして明日24日、午前中に再度病院へ戻る、よって今後は教示頂いた方法で(掲示板にて)状況はご連絡します。従って「日々の出来事」は後日になりますが宜しく・・です。



20年2月18日(月) 
1950年−第1回さっぽろ雪まつり開催。


どれ程の入院・加療になるのか詳しくは分らないが、兎に角今日から入院する、Xも良くこの1週間耐えてくれた。一刻も早い手術により楽になって欲しいと願うばかりである。

よって暫く此処を離れます?のでこのサイト不定期になろうかと思われます、後日書き込みます、宜しく・・・です。




20年2月17日(日) 1978年−北海道幌加内町母子里の北海道大学演習林で最低気温氷点下41.2℃を記録(非公式記録をも含めた日本の最低記録・天使の囁きの日)。


昨夜の就寝は可也遅くなった。従って昨日に続き今朝も起床が遅かった。今朝も冷えた。起床すると共にPCをONするも今朝方は高岳も九重も視界は開けて無い、よってそ
こそこにして朝食の準備に取り掛かる。Xは昨夜、痛みが多かったようで寝覚めが悪い、もう一日頑張って呉れ。

他に特記なし、お昼と夕刻に群れの人達がお見舞いと励ましに来られた。

午後遅くまで視界が開けなかったが夕刻にどちらも開け、画像を送る事が出来た。明日からはXの手術に付添の為、ライブ画像の休止がどれ程になるのか解らないが、その直前の画像を送る事が出来て良かったと思っている。



20年2月16日(土) 1883年−東京気象台が日本初の天気図を作成。 2005年−地球温暖化の主要因物質である二酸化炭素を削減する事を先進国に義務付けた京都議定書が発効。


今朝は起床するや否や(若干の寝坊・・)PC等の電源を入れ、ライブを開始すべく、立ち上げるようとするがExplorerがなかなか開けず・・・他はOK,後刻風さんにお聞きしようと思っているところにコールがきた。「ライブの具合が悪いよ・・・」、それが実は・・・等と状況を話している内に繋がってくれた。一体何だったのだろうか?

今日も昨日と同じようにうすら寒い一日であった、一昨日に続いてXは今日も施設へ出掛けた。そして笑顔で帰って来た・・・。一昨日購入したドウダンツツジを強い風の中植え付けた。来週はXのお供が待っている為どうしてもやっておく必要があった。

でも寒かったなァー、おまけに場所が北側の為通り風が真ともでしかも地面はまだ凍っている(表面より約4〜5cm)のである。日中の気温が4〜5℃位に上がっても日の当たらない所等はまだまだ凍った儘なのである。従ってスコップが入らない。ノミやハンマーも使った、悪戦苦闘(お昼抜き・・・)の末15時頃何とか終える事が出来た。

今日も手摺の仮組みに何度か来ておられた。




20年2月15日(金) 1877年−西南戦争始まる。


今朝も日中も今日は風があった。その為一層冷たさが感じられた。それでも少しでも・・・と思い、日中Xを外へ連れ出し、若干の薪作りと昨日入手した植木の作業をしようとしたが、しかしやはり風が強く冷たかったので早々に家に入れた。

先日のXの転倒を期に玄関前の手摺取付工事が一気に加速したようで早くから仮合わせや採寸等行っていた。社長自らご挨拶に見えた。夕方までに都合5〜6回来たようだ。




20年2月14日(木) 1920年−第1回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)開催。1876年−グラハム・ベル、電話の特許をとる。1973年−為替レート・1ドル=308円の固定相場制から、変動相場制に移行。スタートは、1ドル=277円。


朝方は予報通り結構冷えたが、日中、少し風はあったものの過ごし易かった、午後何だか久し振り?に外へ出る。若干の薪作りと、末梢血管の血液循環が悪い為に起こるとされる症状が先日から続いている為(Dr談)、診てもらった。血管を広げ血の廻りを良くする作用があると・・・ビタミン剤が処方された。この期にとうとう栄養障害かァー?

久し振りに風殿にコールする。運よくボンと散歩の途中であったが、無理をいってモーニングにお付き合い願った。この度は
新たなソフトを使ってLiveCapture2として九重連山の画像が大きくなった、所謂640X480サイズである。皆さんライブをご覧になったかな!?

晴れていて若干風が有ったため硫黄岳の噴煙は確実には見えなかったが、その分山容はすっきり確認できた。だが相変わらず電線が邪魔している事は以前の儘。後日更に障害物無しに(少なく)提供出来るようカメラ位置を模索したい。

こんな時間が取れたのも、実はXが術待ちで家に留まるより施設の方が遥かに良いのでは?とのケアマネの勧めも有ったり・・・で、今日は送り出したのである。日々大した用が有る訳では無いが、正に忙中閑となった。(思えた)

4〜5日振りに風さんとも語れた、師匠は次のライブ工事の取っ掛かりに着手中、その外、春を迎えての植栽も準備?する事が出来た(偶々買い物先で展示中)。

記事があちこち飛ぶが、Xは大そう満足で、少し痛かったが看護師の援助で入浴も出来た、全ての着替えも出来たと若干余裕すら伺えた。やって良かった、案ずるより生むが易し?であった。




20年2月13日(水) 1983年−ハワイアン・オープンで青木功が日本人初のアメリカPGAツアー優勝を果たす。


今日も一日中「寒かった、冷たかった」と訪れた人が皆,口を揃えていた。それ程寒いのかナァー?とアナログ寒暖計を見ると2℃であった。(群れの人達6名、ケアマネ、他2名の方々が相次いで顔見と励ましだろう?・・・)

ほぼ一日中室内に居たため余り寒さの実感が無い。
家中に居たというだけで何の生産も無かった。明日は乙姫で氷点下7℃が予想されている。更に寒いと言う事だナ。



20年2月12日(火)
 
1984年−植村直己が北米・マッキンレーの冬季単独登頂に成功。下山途中に消息を絶つ。


一日を通して冷え込みは無かったが、ある意味寒々としていた。

午前中の積りであったが、お昼過ぎまで病院での所用は掛った。手術は来週へズレ込みそうである。

彼女に対し皆さんからお見舞いを戴いた・・・、そして息子が心配して有線をくれた。




20年2月11日(月) 建国記念の日(紀元節)。1970年−日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ。


今日は穏やかで暖かい一日であったが・・・・朝から今日の「休日在宅医」を捜す、昨夜も少し痛がっていて、痛みが引く気配が無い為やはりX線での確認が必要である・・との思いだが、新聞記載の市内の休日在宅医は内科が専門。大津の在宅医にも整形は無い、困った!

そんな時風さんから有線あり、「中央病院をのぞいてみたら・・」で早速痛がる家内を車に乗せ・・・。しかし当直医が麻酔専門で良く分からないとの事・・・、三角巾で吊ってもらい(半固定)、掛かり付けの大津のS病院がやっていると言うのでそちらへ行く。

不安が的中した、右「上腕骨骨折」と診断される。胸と膝は助かったようだ。腕は手術により固定の必要があるが他科受診中との関連もあり、又今日は休日でもあった為、一気に手術とは成らなかった。あす改めて通院する事となる。

腕を吊った状態で上半身をバンドでぐるっと巻いた状態は痛々しい限り。それでも骨折した部分が動かぬようになった為か、本人は事前より楽との由。一先ず落ち着く。帰りの車中では寝ていた。

状況を共に確認しながら付き合ってくれた息子家族と、遅くなった昼食は何時もより静かであった。恐らく浮かぬ気持ちで帰って行っただろうと推察する。

折角の休日が
・・・



20年2月10日(日) 
1996年−北海道の豊平トンネルで落盤崩落、20人死亡。


今日も朝から冷えてはいたが、大した事は無かった。午前中はXのエスコート、途中で抜け出し坂梨校区新春駅伝大会が開催されているので、その雰囲気だけでも・・と思い見に行く。途中のコース上の風さんを陣中見舞い??する。今や遅しと虎視眈々待っておられた。(スタート約20分前位・・)

今日は息子夫婦、孫たちが連休を利用しやって来た。そして思わぬ雪に喜んでいて、斜面をスキーしていた。

ところが買い物に付いて行くと言う家内が玄関前の階段で躓き膝と肩を打撲?したようで・・・明日まで様子を見る事とした。時間が経っても痛がっているので若干心配ではある。



20年2月9日(土) 1982年−日本航空350便墜落事故。機長が心神喪失により故意に引き起こされた事故と判明。2001年(現地時間)−ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦グリーンビルと衝突して沈没、9人が行方不明に。(えひめ丸事件)


今朝方は思わぬ雪の朝であった。その影響か?冷え込みは少なかった。しかし朝から降り続く雪の為、今日の屋外活動?は全く出来なかった。依って昨日からテスト運用中の「九重ライブ」も視界が開けず、更なる工事?も今日の所は一時休止・待機となった。

朝方Xを送り出し・・さて何をしようか・・?と思案中のところへ耳慣れたコールサインが届く。好機であった、この度は[print screen]の使い方が解った。

午後には雪も止み、少々の買い物に出る。環境整備士?には程遠いが丸のこを入手する。一番軽量で安価な物だ。専ら薪材の加工用である。カッコ良く言えばDIY用・・である。

更に夕刻には「温度測定装置」のキット品を風さんわざわざ届けて下さった。(私に作れるか?疑問だが・・・)




平成20年2月8日(金) 本日「出来事」は無し。針供養、折れた針を豆腐やコンニャクに刺して供養し、裁縫の上達を願う行事。12月8日に行う地方もある。


今朝方もそこそこ冷たかったが、勝手口先のアナログ寒暖計は−2℃であったが、しかし体感的にはそれ以上であった。そして朝早くから高岳は晴れていて、笠雲状態であった。(実は又しても取り損ねたのである・・・何とかの後悔み・・・)

午前中はXと例の通りRに通う、そして今日は金曜日なので週一開店中の「のはな」へお昼に行く。常連客なのだろうか?一部の客ばかりが妙に盛り上がっていて?・・・なんとなく新規組には馴染めないナァー、

そんな事は良しとして、今日はヤル気満満で、帰宅してから、まず薪を少し作った。お天気さえ良ければ毎日でもこうした作業をやっていけば、体も順応し、一喜一憂しなくて済むのだ・・と言う事で、ほんの一時間程やり、それから九重連山のライブに取り掛かる。

ただ残念なことに此処からは北北東?方面になり家の前を走っている電線が大いにジャマしているのである、画像からもお解りであろう。依ってこの解消策はカメラ位置を上げるしかない・・・、(だが幾つかのハードルが有り・・・懸案事項?)
未完成だが九重のライブが出来た。風さんに連絡するも、継がらなかった??

尚、今日のお昼の後、阿蘇神社をちょっとだけ覗いた。



平成20年2月7日(木) 旧歴元日。1998年−第18回冬季オリンピック、長野大会開催。2月22日まで。1993年-「能登沖地震」発生。


今朝は冷たかった、「阿蘇乙姫」観測点での正式発表が氷点下6.7℃との事で、そうすれば此処は大凡−9℃前後と思われるが・・・?。

兎に角冷えた、寒かった。お蔭で?で昼間は時折冷たい風はあったものの暖かな陽だまりを感じる時間帯もあった。

お昼過ぎにシャッター屋が来た、我が家の雨戸用シャッターの開閉が若干重い為(先日の定期点検の結果)、点検・調整に来たとの事・・・幸い?と言うか、何の事は無くしばらく開閉して無い為、「滑りが悪くなっていたようです・・・」との事。
潤滑剤をスプレーして一件落着と相成った。(しかし又してもこの状況下の画像を残せなかった・・・〜〜)

その際偶々風さんプールの帰り・・で丁度お出でていた。

今季材質を問わなければ、可なりの薪材を集める事が出来ていて、今日など結構消費しているが、少し余裕もある、しかしこんな時こそ備えをしっかりして置くべし・・で今日も少しだが薪を作る。この作業少なからず体全体を消耗する。疲れるのである。

老骨に鞭打って・・・今日も疲れた〜〜が、連休時に孫たちがやってくるのでしっかり備えが必要だ。



平成20年2月6日(水) 1904年−日本政府がロシアに国交断絶を通告。10日に宣戦布告(日露戦争勃発)。1972年-札幌オリンピック、スキージャンプ70m級で、笠谷幸生が金メダル、金野昭次が銀メダル、青地清二が銅メダルを獲得し、日本がメダル独占を果たす。


今日の天気は何と言えば良いのか全てであった。曇り一時晴れ時々雪又は小雨と言ったお天気であり、更には冷たい風があったり、穏やかだったりで、目まぐるしく変わり落ち着かない天気でもあった。

合間をぬって薪材の横持ちやカット、薪割り等少しやった。その外特段の変化なし。少しでもやる気が失せると行動範囲が極端に狭まるナ。




平成20年2月5日(火) 1971年−アメリカのアポロ14号が月面着陸。


今朝は良く晴れていた。しかも一日を通して然したる風もなく穏やかで終日晴れていた。今日こそは雪の為に中断せざるを得なかった薪収集に3日振りに出掛ける。物が大きいだけに手に負えず、又しても風さんに助っ人を依頼する。お忙しい中を駆けつけて戴いた。

行き掛けの途中(滝室坂)から見た雪を被った阿蘇五岳(残念ながら根子岳は見えないが・・・)は何と雄大で素晴らしい眺めであった!暫し見惚れ動けず・・・

産山村の薪の仮置き場所は大駐車場の片隅、未だ雪が14〜5cm残っており、小切りするまでにまず雪払いとなった。丸2日経っているのにこの状態であれば・・・ここは相当の積雪であった事が推察された。

今日も過日と同様に一望三山(阿蘇山、九重連山、祖母・傾連峰)を何の遮りも無く望む事が出来た。

さて、薪材の方だが、幸い100人力の応援があるので、心に余裕を持って作業が出来、そして積み込めた。御互いに1車づつ持ち帰ることが出来た。



平成20年2月4日(月) 立春。1966年−千歳発の全日空機・ボーイング727−100が着陸直前に羽田沖に墜落。133名全員が死亡。1994年−H-U一号機が打ち上げ成功。


今朝は道路がガチガチに凍っていた、この冬初めてではないだろうか? 家内の迎えの車は案の定何時もより遅かった。
暫くして風さんが娘さん、お婆様の送迎の後、立寄られた
、そして「高岳カメラ」のサイズを二周り程大きくして頂いた。

そうこうしていると、オヤ珍しや!NAKAご夫妻が散歩の途中で立ち寄られた、お客様が一度に2組もある等、ここへ移って来て初めての事である。こう云う時には必ず画像を残さなければならないのだ・・・と皆様にご了承を戴く事も無く・・パチリ・・・。

いろいろと話が弾み?皆様お忙しかっただろうに愉快な(世間話も含め)一時を我が家に提供して貰った。残念な事は家内が外出してその場に居なかった事である。

午後は我が駐車場に2〜3日前から遣りっ放しだった薪材を残雪踏みしめつつ1本づつ運び上げ、次回に備えた。



平成20年2月3日(日) 節分・豆まき。1972年−第11回冬季オリンピック、札幌大会開催、2月13日まで。1851年(嘉永4年1月3日)−ジョン万次郎がアメリカから10年ぶりに帰国する。


 
昨夜は大雪注意報が出ていたが今朝方は然程ではなく、そこそこであった。又、それ程の低温にはならず、道路もシャーベット状であり車の走行は全く問題はなかった。

本日は例の通り午前中Xのお供で・・・。午後は家の周りがもう少し状態が良ければ作業に掛かれたが、未だ雪が14〜5cmあるのでそれも出来ず昨日と同じく、アチコチの・・・やら・・・であった。大したことは何も無く・・・、


平成20年2月2日(土) 1998年−新郵便番号制度導入(7桁化)。1972年−横井庄一氏が日本へ帰国。1920年−日本でバスガールが初めて登場。


 
今朝は思わぬ雪にビックリであった予報が少しズレたかな?依って昨日風さんとの取り決め事は中止となる。
 
しかし今日一日中よく降った・・昼間も引っ切り無しに降っていた、まだまだ降り続いているが・・明日は大丈夫か?予定している事があるので若干気掛かりだが・・・、そんな状況故、本日予定のP内の薪の整理は全く手付かずで昨日の儘、従って明日の行動は全て軽トラに頼る事となる。(乗用車が出せない)

過日注文していた安全用具が午後到着した。これによって次回からの高所作業(つまり屋根上での幾つかの作業)時はきちんと設置をして着用すれば安全で有ること間違いなしである。足元おぼつか無くビビル事もないだろう。

だがこんな雪が積もっている状況下では屋根に上がる気力は全く無い。幸い煙突が詰まっている気配も無い。




平成20年2月1日(金) 
1987年−北海道の国鉄広尾線(帯広〜広尾)84.0km)がこの日限りで廃止。ブームになった愛国駅幸福駅が廃止に。1962年−東京都の人口が一千万人を突破。世界初の一千万都市に。


 
今朝はそこそこ冷たかった。昨日の大いなる疲れの為、寝起き悪し。その時々の時間は分かって居るのだが「起きる」と言う行為がなかなか進まなかった。

お陰で朝食終了は9時半になってしまった。何時ものように今日はRへ行く。少し混んでいた様だが割合とスムースに事は進んだ。

午後からは幾つかの所用を済ませ、ある伝手の紹介で「ファームビレッジ産山」なる所へ薪収集に出向く。現物は此れまでに無い上物で(いわゆる雑木)でありしかも乾燥しきっていた。

業務用で使用する予定だったそうだが、有り余った?のだろうか・・・。一台分運んで来たが、乾いていた分軽かった。よって山盛り積めた。そして特筆すべきは今日の作業の全過程に家内が一緒であった事。

それにしても後残っている物は相当でかい、しかも私には多すぎる・・・風さんに指南して頂くと共に使って頂きたいので連絡しなければ・・・。

ふと振り返れば、そこには申し分ない景観が有り、北に九重連山、南に阿蘇山が望めた。今日は特に九重連山が雪をかぶっていて見事であった。